村上 高校の全国制覇をしたとき、決勝戦の相手はどこでしたか。

笹田 天理高校でした。その全国高校大会が行われたのは1970年度で、50回目の記念大会でした。國學院久我山、目黒、秋田高校と戦った末の決勝戦でした。目黒とは準々決勝で引き分けたのですが、のちに明治大学で一緒にプレーすることになる松尾雄治がいましたよ。

村上 笹田さんは高校日本代表にも選出されていますね。

笹田 全国制覇した後、高校日本代表のカナダ遠征があることを知りました。盛岡工業から5名選出されて、2年生は僕だけ。これが第1回の高校日本代表の遠征だったのです。そのメンバーから日本代表に選ばれたのは、僕と藤原優(日川→早稲田大学)ですね。

村上 高校3年生の全国大会はどうだったのですか。

笹田 当時は前年の優勝チームが優勝旗を返還して、選手宣誓をしていました。だから、キャプテンだった僕が宣誓したのです。ただ、2回戦で新潟工業に負けてしまったんですよ。僕はNO8だったのですけれど、新潟のプロップには、のちに日本代表になる仲山健(卒業後、三菱自工京都へ)がいました。めちゃくちゃスクラムが強くてね。盛岡工業はスクラムを押されたことがなかったから、びっくりしているうちに負けてしまいました。

村上 明治大学に進学されたのは、なぜですか。

笹田 盛岡工業から明治大学に行ったのは僕が初めてでした。高校3年生のとき(1971年)、早明戦を見ました。明治が4-6で負けた試合です。明治ってなんてどんくさいのだろうって思った(笑)。でも、その縦へ縦へ行くスタイルに魅力を感じたんです。それで高校の先生と明治大学ラグビー部の北島忠治監督に挨拶に行きました。

村上 明治大学では1年生からレギュラーになり、4年連続で早明戦にも出場されたようですね。

笹田 4回出場して3連敗し、最後は引き分けでした。大学選手権でも対戦して、2勝2敗でした。当時は早稲田の黄金時代が続いていて、ようやく明治が低迷を脱した頃だったんです。

村上 大学4年生で学生日本一になり、社会人王者との日本選手権でも勝っていますね。

笹田 僕がキャプテンで、松尾雄治が副キャプテンでした。我々が大学選手権で優勝し、社会人王者の三菱自工京都と日本選手権で戦いました。新潟工業出身の仲山選手がいましたよ(笑)。明治は早明戦などで国立競技場に慣れていたのですが、三菱の選手たちは大観衆になれていなかった。ウォーミングアップを見ていると、キックされたボールを何度も落としている。足が震えているんです。それで松尾と相談して最初はどんどんキックを蹴ってみようということになった。そうしたら、三菱がミスをして、リードを広げることができました。三菱のFWは強かったのですが、前半で点差がついてしまって勝つことができたのです。

村上 仲山さんにリベンジですね。

笹田 そうそう(笑)。

村上 日本代表に選ばれたのはいつ頃ですか。

笹田 大学3年生でした。1975年、スリランカでラグビーのアジア大会が開催されたときです。明治からは僕と松尾雄治が参加しました。

*この続き(その3)は、8月31日金曜日に更新します。

《笹田学様略歴》

1953年盛岡市誕生 岩手県立盛岡工業高校ラグビー部 花園50回大会優勝 第一回高校ジャパンとしてカナダ遠征
1976年明治大学ラグビー部主将として大学選手権、日本選手権優勝
1976年横河電機入社 横河ヒューマンクリエイト社長 横河ファウンドリー社長 など歴任
現在は人事コンサルタントとしてオフィス笹田代表
明治大学評議員 明治大学ラグビー部OB俱楽部副会長

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