村上 このコーナーでは、ラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。今回のゲストは、笹田学さんです。笹田さんは、横河電機の執行役員、横河ヒューマンクリエイトの社長を歴任されました。ラグビーの日本代表選手でもあり、現在は、明治大学ラグビー部OB会の副会長、明治大学の評議員も務めていらっしゃいます。まずはラグビーとの出会いから聞かせてください。

笹田 私は岩手県の盛岡市出身です。ラグビーを始めたのは高校に進学してからです。ただ、私はスポーツが大好きだったので、小学生のころから陸上競技、柔道などいろんなスポーツをしました。陸上競技は三種競技(走り高跳び、砲丸投げ、100m走)をしていて、体育の日に行われていた放送陸上という全国大会で、全国13位になったことがあります。それを続ける前提で高校にも進学しました。

村上 盛岡工業高校に進学されたのですね。

笹田 翌年に岩手国体を控えていた年で、なんとしても天皇杯を目指そうということで、岩手県をあげていろんなスポーツを強化していました。盛岡工業にも野球、陸上、柔道など中学時代にさまざまなスポーツで活躍した選手が集まってきていました。その盛岡工業のラグビー部は僕が入学する5年前に全国制覇をしていました。入学して間もないころ、ラグビー部の村井監督に呼ばれて優勝カップを見せてもらいました。それで、これをもう一度獲得してみないかと言われた。それで僕だけではなくて、みんななびいてしまってラグビー部に入部したんです。あとで、柔道や陸上の先生に「君は国体の候補選手なんだぞ」と言われましたけれど(笑)。その頃、岩手県で全国制覇を目指せるスポーツはラグビーくらいでしたからね。

村上 中学時代のラグビー経験者はいたのですか。

笹田 岩手県はラグビースクールや中学のラグビー部が盛んではないので、ほとんどが高校からラグビーを始めます。それでも僕は高校2年生で高校日本一になっています。何をしているのか、あまりよく分かっていなかったくらいなのですけれど(笑)。

村上 ポジションは、どこですか。

笹田 最初の頃は陸上をやっていたこともあって、ウイングなどでしたが、すぐにフランカーになり、2年生からはプロップでしたね。体重は70㎏ほどで、それほど大きくはなかったのですが。

村上 未経験者が多い中でも日本一になるというのは、何か秘訣があると思うのですが。

笹田 5年前に優勝したOBが指導してくれましたし、国体があるので強化費もあった。そして、いまだと考えられないのですが、新日鉄釜石のグラウンドに行って社会人と一緒に練習していました。釜石の選手たちとスクラムを組んでいましたから、高校生相手にスクラムを組むと「大したことはない」と思えたんです。

村上 ラグビーは楽しかったですか。

笹田 楽しかったですよ。僕は個人競技をしていたので、いつも一人で戦っていた。チームスポーツに憧れがありました。練習は厳しかったですけど、チームとして勝ったり負けたりするのは魅力がありましたね。

村上 陸上、柔道の経験はラグビーに生きましたか。

笹田 もちろんです。どんなスポーツでも走ることは基本ですから、それを陸上でみっちり鍛えたことは良かった。それに柔道は相手を倒す競技ですから、ラグビーのタックルも抵抗がなかったですね。ラグビーのルールは制限が少なく、体全部を使ってプレーするでしょう。それも僕にとっては良かったですね。

*この続き(その2)は、8月24日金曜日に更新します。

《笹田学様略歴》

1953年盛岡市誕生 岩手県立盛岡工業高校ラグビー部 花園50回大会優勝 第一回高校ジャパンとしてカナダ遠征

1976年明治大学ラグビー部主将として大学選手権、日本選手権優勝

1976年横河電機入社 横河ヒューマンクリエイト社長 横河ファウンドリー社長 など歴任

現在は人事コンサルタントとしてオフィス笹田代表

明治大学評議員 明治大学ラグビー部OB俱楽部副会長

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