村上 このコーナーでは、ラグビーを経験したことによって、その後の人生を豊かにした方々にお話を聞いています。今回のゲストは、中嶋光正さんです。中嶋さんはラグビーと仕事を見事に両立させて人生を歩んで来られました。まずはラグビーとの出会いから聞かせてください。

中嶋 私は大学時代(甲南大学)、写真部に所属していたのですが、大学を卒業したときに、ラグビーをしている友達に誘われて、試合の撮影に行ったことがあるんです。そうしたら、人数が足りないから、「お前、試合に出ろ」と言うんですよ(笑)。スパイクやジャージを皆が貸してくれまして、ウイングで出場しました。相手チームに有名な選手がいて、その人がひ弱な私をめがけて走ってきた。チームメイトから、「タックルせえ!」と声がかかったので、タックルしたら、たまたま上手くいって相手が倒れたんです。それで大歓声が上がった。それが私とラグビーの始まりです。

村上 倒した相手選手はどんな人だったのですか。

中嶋 オール関東にも選ばれた選手でした。おそらく、私がひ弱に見えたから気楽に走ってこられたと思います。怖かったですけど、タックルをほめられたのが嬉しくて、このメンバーにまた褒められたいと思ったのが続けた動機ですね。それからは、仕事が終わると夜にランニングするようになって、2時間くらい自分なりにトレーニングして、土曜日にチーム(六甲クラブ)の練習があって、日曜日に試合するという人生が始まりました。

村上 体つきも変わったでしょう。

中嶋 たくさんご飯を食べて、筋肉もついて、10㎏ほど重くなりました。足は遅かったのですが、「お前はタックルに行けるから、ロックや」と言われて、ずっとロックでした。

村上 それまで運動部に所属していなかったのに、どうしてタックルできるのですか。

中嶋 それしかできないですから。足は遅い、ゲームをコントロールすることもできない。仲間に認めてもらえるのはタックルしかない。だから、どんな選手も倒せるように考えて試合に臨んでいました。最終的には兵庫県のクラブリーグ代表で社会人代表のチームと試合をするまでになることができました。

村上 中嶋さんは、六甲クラブの創部メンバーの一人なのですね。

中嶋 そうです。私が最初に出た試合は、まだ試験的な段階で、昭和43年(1968)の5月にクラブとして立ち上げられました。甲南大学OBの6人が軸になって、そこからいろんな大学や高校のOBを集めていくのに時間がかかりましたが、翌年には兵庫県クラブリーグに加盟しています。1969年ですから、50周年です。

村上 どこのグラウンドで練習していたのですか。

中嶋 練習は岡本にあった甲南大学のグラウンドを借り、試合は神戸レガッタアスレチッククラブ(KR&AC)のグラウンドでした。私はジャージの洗濯係でした。一人だけ車を持っていたもので、16人分のジャージを家に持って帰って母親が洗う。これは、親不孝でした(笑)。

*この続き(その2)は、7月13日(金)に更新します。

《経歴》
昭和43年 甲南大学卒業
滝本株式会社入社
内田洋行専務 PLUS常務 プレステージインターナショナル特別顧問 歴任
現在
株式会社サクセス サポート21 代表取締役社長
環太平洋大学 客員教授
六甲クラブOB会長

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