村上
大学時代、一番思い出に残っているのは、どの試合ですか。

玉塚
やはり4年生の大学選手権決勝(1985年1月6日)ですね。相手は選手権三連覇を目指す同志社大学。
残念ながら亡くなってしまった平尾誠二君や、いまサントリービバレッジソリューションの社長になっている土田雅人君が引っ張っていた。
そんな強いチームと戦ったこと、最後に我々がトライだと思った最後のパスがスローフォワードと判定されたこと、いろんな意味で記憶に残っています。
負けてしまったけれど、勝負というのは、負けて学ぶことが多い。ロングタームで見たら、どちらが良かったのかは分かりません。
試合後、同志社のメンバーと仲良くなりました。社会人になっても何度も飲みに行っています。僕はあの試合のことはすべて鮮明に覚えていますよ。
前半序盤の同志社ボールのラインアウトで、僕は同志社のSO松尾勝博君を倒そうと飛び出した。でも、僕の役目は内側のディフェンスを整える事だった。
松尾君の外側にいた平尾君は僕が飛び出したのを見て、僕の内側に走り込んで先制トライをあげました。僕のせいであの試合は負けたと思っています。
そういう意味でも忘れられない試合です。

村上
その後、同志社のメンバーと仲良くなったというのは、ラグビーならではのことですね。

玉塚
ラグビーは仲間意識が強い。僕は留学などで海外での生活が長いのですが、海外でも同じです。
ビジネスのシーンでぎりぎりの交渉中、ランチのときに「君は何かスポーツはしていたの?」と聞かれて、「ラグビー」と答えたら相手もラグビーをしていて意気投合。
交渉の流れが変わったこともありました。スペシャルなスポーツだと思いますよ。

村上
大学卒業後はラグビーを本格的には続けなかったのですね。

玉塚
燃え尽きたというか、ラグビーはもういいかな、と思いました。
慶應のラグビー部はラグビーとは無縁の会社に就職するケースも多く、僕も卒業後はビジネスで頑張ろうと思って切り換えました。
ただ、エーコンクラブというチームでプレーし、三菱系の会社に入社しましたので、三菱グループの大会には出場していました。
入社4年目にシンガポールに赴任して現地でもラグビークラブに入りました。これがすごく良かった。
そのクラブには、地元のシンガポールだけではなく、インド、オーストラリア、イギリス、フランス他さまざまな国の人たちが参加していました。
そこで一緒にラグビーをし、シンガポール代表にも選ばれ、香港セブンズ(7人制ラグビーの国際大会)にも出場しました。
貴重な経験でした。

村上
そうやって、世界にも人脈が広がって行ったのですね。

玉塚
シンガポールでは毎週土曜日の夕方に試合があって、終わるとチームのメンバーでバーに行く。
僕は英語が話せなかったのですが、ラグビー仲間との談笑が一番勉強になりました。
バーでの話は内容もあっちこっち行くし、ジョークで急に笑ったりする。
いったい何が可笑しいのが分からなかったけど、それに食らいついて行くうちに分かるようになっていきました。

玉塚元一
株式会社ハーツユナイテッドグループ 代表取締役社長 CEO

ケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院 MBA取得
サンダーバード大学大学院 国際経営学修士号を取得

1985年、慶應義塾大学卒業後、旭硝子株式会社入社。工場勤務、海外駐在を経て、日本IBMに転職。1998年、株式会社ファーストリテイリングに入社、2002年に同社代表取締役社長 兼 COOに就任。2005年9月に企業再生・事業の成長を手掛ける企業、株式会社リヴァンプを創業し、代表取締役に就任。その後2010年11月、株式会社ローソンに入社。

同社取締役代表執行役員COO経て、2014年5月より代表取締役社長、2016年6月に代表取締役会長CEO。2017年6月、デジタル製品のテスト及びQAを行う株式会社ハーツユナイテッドグループ代表取締役社長CEOに就任。現在に至る。

*この続き その3は、12月22日金曜日に更新します。